地下鉄の風を吸い込んで

階段をのぼる私の横をすりぬけたサラリーマンが10秒後にトラックに突っ込まれて死んでもおかしくない世界。今日も頑張って生きていこうかなあなどと思わせてくれる、重い雲と小雨の朝。ちょうどイヤフォンから好きな曲が流れてきた。地下鉄の入り口からは暖かい煤っぽい空気が吐き出されて私はそれを思い切り吸い込んだあとその余韻をひきずりながら歩き出す。金曜の朝5時半はさすがに人もまばらで、もう自分が上京してきて10ヶ月も経った事を唐突に思い出してすこし感慨深い。
楽しい時は早く過ぎるとかいうけどそれなら今年たぶん私は、すごく楽しく過ごしてきたんだろう、あっというまに2009年が消えていく。12月になって急に切ないくらい時間の過ぎ去るのが早くて、何をしていても落ち着かない。誰かのことを考えたり映画を観たり、新しいことをしたりで、時間は刻々と過ぎる。もっと時間が欲しい、というよりは、きっといままでにもったいないまま捨て去ってきた時間が恋しいというかんじ。ねむいときも、病めるときも、健やかなるときもおんなじように過ぎていくのに。それならどうしてひとは時間が過ぎるのをいつも同じ様に感じられないの?わたしの神様はわたしをどういうふうにつくったんでしょう。そしてわたしはわたしの神様をどこに隠し持っているのかな。
11月中旬くらいまで恐ろしい程の無気力で、ほんとうに何もする気が起きなかった時期があったのが嘘の様に今はやりたいことや欲しいもの、会いたいひとが無限にいて、こういうのはやっぱり周期があるんだなあと感じている。ただその落ち込んでいる時は、落ち込んだ状態が永遠に続く様に感じられて苦しい。今ならわかる。多分そういうのが波のように延々訪れるんだということが。誰にでもあるかはわからないけど。きっと波があるから力のだしどころとか休みどころとかがとれてバランスがいいんだろうな。私の性格的に、一年中頑張ってたら多分疲れて死ぬと思うから。
10分ってこんなものです。