高松行きの機内にて

乗り物に乗るのが比較的好きな方だと思うけれど、特に飛行機と二階建てバスは乗る度にわくわくする大好きな乗り物だ。



二階建てバスはロンドンに住んでいた時に毎日乗っていて、朝通学の際に、1時間近くかけてロンドンの中心部まで通っていた。二階の、最前列左側に陣取り、iPodで音楽を聴きながら、なんとなしに外を眺めるのが好きだった。イギリスに好天の日は多くなかったけれど、曇天の日でも、いや曇天だからこそ映える街並があるのだなあとぼんやりと思った。



乗り物というのは、そもそも何処かへ行く手段のひとつであって、それに乗ってる時間というのは一体何の為に存在しているのか。無意味な時間、というか無目的な時間だと思う。音楽を聴いたり本を読んだり、ぼんやり外を眺めて潰すしかない、海の物とも山の物とも言えない時間。私はそんな、その場にいなければいけないのに何もやることがない時間が大好きだ。そういう時間には、非常に物事がはかどる気がする。例えば音楽を聴く事ひとつとっても。いつもと違った風に聞こえるわけではないけれど、ぼんやり眺める景色と共にその曲は脳みそに刻み付けられていく。私は今でも、通学の時に聴いていた曲であの街並や、空の色や、寝起きの少し陰鬱な気分を思い出す事ができる。何よりも強烈な記憶の塊。そういうものをあっさりと創りだせるのが、どこかへ移動している間の純粋な、何物でもない時間なんだと思う。



これが家でただ何もなくだらだらしている時や、集中出来ないからといって図書館へ行ったり、喫茶店へ行ったときとは全く違うものであるということは明確で、やはり時間や条件に限りがないとこの感じはでない。集中力だって桁外れだ。何が私をこうも動かすのか、この移動中という時間には魔物でも住んでいて私の脳みそを三つ又のやりでつんつんつついて刺激しているのかもしれないという突飛な発想まででてくるほどだ。



私は今これを、高松行きの飛行機の中で書いている。高松へ行く事は昨日の夜唐突に決定し、決定から30分後にはチケットの決済を終えて荷造りを始めていた。家族が車で四国に遊びに行っているそうなので合流する為だ。
何かを無目的にひたすら書くのには飛行機の中以外にベストな場所はこの世にない、と私は断言出来る。少なくとも私にとってこれ以上にひたすらアウトプットだけに向かい合える場所はこの世にはない。空の上、携帯もインターネットも使えず、基本的には自分一人、まわりのひとは知らない人。やることもこれといってなく、何故か搭乗直前まですごく眠くても飛行機に乗ると目が冴える。不思議なものだ。もしかしたら私は飛行機に乗ると飛行機から発している微弱な電波とかそんなようなもので覚醒してトランス状態になり、犬の餌にもならない駄文を書き続けるようになる病気なのではないだろうか。そんな気さえしてきた。
窓の外に見えるのは普段見る事の出来ない雲海、窓の内側にいるのは普段見る事のない美人のキャビンアテンダントさん。これを異空間とせずしてなんとしよう。ああ飛行機楽しい。飛行機大好き。このフライトがハイジャックされて、高松行きからスペイン行きに変わり、14時間くらいのロングフライトになって、機内食でパエリアがでてきたりして白ワイン飲んで酔っぱらったりしたいくらい。ならないかなあ。帰り道は、車で淡々と下道を帰ってくるだけでもう飛行機には乗れないのですごく寂しいです。ああ、私は心底、旅が好きなんだなあ、というよりは、飛行機が好きなのかもしれないと、今更にして、今日気付いた。



死ぬなら大往生か、モッシュピットor本が崩れてきて圧死か、こうして飛行機で書き物をしていて突然機体が爆発炎上して死にたい。不謹慎かもしれないけど、男性にとっての腹上死みたいなもので、これが私の理想の死に方だ。
たまにはこうして集中力の続く限り、まとまっていない文章を書き続けるのも楽しいなあと思うので、月に1回飛行機乗れたらいいのにとか思うけど、日本はヨーロッパと違って国内線が激高いので、そんなことも出来そうになくて残念です。旅行とそれに伴う飛行機の時間をより多く享受するにはやはりヨーロッパが最適なのかなあ。増々、戻るべき気がしてきた。





余談ではあるが、私は機内食も大好きなので、やはりロングフライトに乗りたい。あの、何も言わずにお腹が空く頃になると美人のキャビンアテンダントさんたちが配り始めるところや、何がでるか乗ってみないとわからなくて、メインディッシュが選べる所や、パンにバターをたっぷりつけて食べられるところが、私を魅了して止まない。勝手にでてくるご飯という点では、給食や病院食も大好きです。