世界が終わる日

今日も世界が終わるはずだったのにそうならなくて僕はすっかり落ち込んでしまった。窓ガラスには一緒に消えてなくなるはずだったペットのかたつむりが何か言いたげに、でも多分何も考えていない風でゆっくりとぬめついた筋を描いてく。外は大分寒いようでガスストーブの火を映した結露がきらきらと目に映る。お湯が沸いてかたかたと薬缶の蓋が揺れている。月はとろんとした白さで、口にいれたら甘そうだ。
明日は世界が終わるだろう、そうして一日が過ぎて、今度こそ明日こそ終わるだろう、そう言って暮らして来た。世界の終わりを待ち続ける為の準備はできていたし、君がなんだかんだ口では嫌がりながらも一緒にその日を待ちわび続けてくれたから多少の不便は気にもならなかった。ぼくらは世界が終わるのをこうしてただ待っている。いつかの思い出を話し合ったり、これが最後の晩餐なんだと手の込んだ夕食を食べて、これが最後のキスなんだよと日付のかわる1秒前に唇を噛み合った。世界が終わらなかったとき僕らはがっかりして、でもすこしほっとして、気まずそうな笑みを浮かべて汗ばんだ手を握り合った。かたつむりの体液よりぬるっとした君の手を何度も握り返すと生きている気がした。そしてなにより明日こそ、世界が終わります様にと祈った。どうしてそんなに、世界が終わって欲しいのかという愚問を問いかけないでほしい。ぼくらは、いやもしかしたらぼくは消えてなくなってしまいたかったのかもしれない。醜い老いや、見えない先の事、そして何かに期待して裏切られた時の絶望を全部放り投げて。みんな一緒に終わればいい。
そうこうしているうちに、つまり世界が終わる前に君が終わってしまった。この広い、青い空だったり海だったり花や蝶や、犬猫、無数の人間、あんなに愛していたペットのかたつむりの黄色とピンクの模様、10年来使って来た木のテーブルのはじっこに昔彫った二人の名前、そして君のからだを、君は放り投げて、自分の世界を勝手に終わらせた。何もかもが突然だった。まさかこの世界が終わる前に君の世界が終わるなんて予想もしていなくて、僕はうろたえた。君のいなくなった世界。君のいた世界。僕のいるこの大地はいつになったらひび割れて海の底に飲み込まれていくのか?固くなった君のからだは青白く光るばかりで答えを教えてくれない。
今日も世界が終わらなかった。明日はたぶん終わるだろう。ぼくはいまは、ひとりでそのときを待っている。ただ待っている。