mixiからなのよ

地震だの原発だの各種デモだのTPPだのたくさん問題を抱えている日本。
ここで変わろうとしない人は振り落とされていく気がする。
変わる事、変える事を恐れずにいたいなーと常日頃から考えていますが、そうでないひとのまあ多いこと。自分に対してだけならいいんだけど、自分以外の人が変化するのを邪魔する人もいる。不変のものなんて何一つないのだから、変わることを受け入れていきましょうよー。
きっと変わるためのチャンスは、まさに今なんだから。いつもと違うことしてみたっていいじゃない。あなたの生活に一しずくの刺激を!

ってな具合で昨日は初めて浅草に飲みに行った。知り合いのお店〜
イタリアン居酒屋でバーニャカウダをぽりぽりかじりながらワインを飲み、barをはしごして、その後酉の市で甘酒飲んで帰ったよ。
甘酒おいしかった!しょっぱくて甘い!
新しい世界をひろげるのだー

乳がん検診に行ったよ

おっぱいを持つ者の可能性としてあり続ける乳がんの、罹患リスクを少しでも少なくしたいなーと思って行きました。
ピンクリボンブレストケアクリニックという、乳がん専門の病院。表参道にあります。

症状があるひとは保険診療で、ないひとは自費での検査になり、20代なのでマンモグラフィー(おっぱいを板にはさんでつぶすやつ)はしなくてよいとのことで触診と超音波検査をしました。お値段1万円。
充実したアメニティと美人な女医さん、スタッフは全員女性という徹底された空間でセルフケアの仕方などを教わり、診察は20分程度で終了しました。
30歳を超えたひとも、20代のひとも、とりあえず1度は行ってみるといいんじゃないでしょうか。ついでに婦人科も。
30代からは年1必ずマンモグラフィーもしたほうがいいとのこと。迷わず行けよ行けばわかるさ!

人とのかかわり方

人と仲良くなったりするのがずーっとめんどくさくて、もちろん仲良くなった人もいるんだけど、こちらから遊びに行こうとかお誘いすることが殆どない。びっくりするほどに。
なんでこんなに色々めんどくさいんだろう?本音で話したいと思える人もあんまりいない。思春期みたい。「友達になろうよ!」って寄ってくるひとに関しては、もはや暴力的とすら思える。だって「友達になりたい」ってそもそもすごく暴力的な衝動だと思う。友達ってなあに?みたいな。



人と関わるのも自分のことを知るのもこんなにしんどいのに、みんなすげえなあ、って常日頃からおもっています。
おしまい。

傷ついてるときの思考

自分の痛い部分や弱い部分がチョコのようにどろっどろに溶けて地面と同化して、また固まって床から剥がれなくなりそうな感じ。
ここのところそんな弱気な気持ちになって落ち込むことが多い。
ただ不安、とか、ただ悲しい、とかそんなことはなくて、不安になる原因とか悲しい気持ちになる理由は絶対にあると思う。ただ、弱っているときにそれを探り当てられるほどの余力はないということだ。
元気になってから考えればいい。なんで悲しかったのとか。
一度決めたことをもう一度掘り返さなきゃいけなかったり、何度も悩んだことをやっぱりやめようか悩んだり、乙女心ピンチ。
誰かに話を聞いてもらいたい、というよりも、それを吹き飛ばすくらい面白い出来事が起こらないかなあと考えている。
話を聞いてもらいたいひともいないし。寂しいやつだわ。

教習合宿中の食事について

ふと思い出したので書いてみる。18歳のときの免許合宿について。

高校を卒業してぶらぶらというかだらだら、実家で特に何をするわけでもなくニートしていた私は、親に車の免許合宿へ放り込まれた。
長野県に限らないけれど、田舎の子はみんな車の免許をとらされる。車を運転できないと、地元では不便だからだ。大体の子が就職してすぐ、早ければ大学生の間に車を買う。息をするようにローンを組む。
私は当時、イギリスに留学すると決めていたので、ヨーロッパを視野に入れてマニュアル免許をとることにした。「海外で車借りようとしてもオートマ車なんてほとんどないよ」との母の言葉を鵜呑みにしたが、最近では普通にオートマ車もあるらしい。


教習がはじまり、実習がとにかく憂鬱で、楽しみなことは食事くらいしかなかった。私は給食や病院食など、献立が事前に決定している食事が何故か大好きで、教習所のお弁当も毎日楽しみにしていた。恐らく、何がでるかわからないわくわく感と、何もしなくても食事がでてくるところが好きなのだと思う。
黒いお重が十字の仕切りでわけられ、ご飯と、3種類のおかず。麻婆豆腐、ホイコーロー、チンジャオロースと何故か中華の割合が多かった。珍しかったのはおやきが入っていたこと。濃い目に味付けられた切り干し大根のおやき。きゅうりとハムのポテトサラダ。ぶりの照り焼き。鶏のからあげ。ごく普通のおかずばかりなんだけれど、教習でぼろぼろになった精神状態でご飯を食べておいしい!と思えることが一番の癒しだった。


ペンションでの食事も忘れられない。朝ごはんはいつもかわらず、ハムかウィンナー、サラダと、スクランブルエッグ。パンに紅茶。和風がよかったなーと思ったけど、洋風もおいしかった。ハムが普通のハムじゃなくて、サラミっぽいやつで、パンにはさむとおいしかったことも覚えてる。
夕飯が一日の終わりの最大のイベントで、とにかく私の泊まったペンションの食事が尋常ではないくらいおいしくておかわりしまくった。女性しか泊まっていないペンションなので、なかなかおかわりをするひとはいない。私だけだった。ご飯と味噌汁を2回ずつお代わりしていた。そのうち、わたしのお茶碗だけちょっと大きいのに変えてくれた。
一番おいしかったのは鶏の照り焼き。人生で一番おいしい鶏の照り焼きだった。つやつやしていて、黒胡椒がピリっと効いていて、やわらかくて、塩加減がちょうど良くて、ご飯何杯でもいけるぜ!と叫びたくなるような。恐らくくたくたに疲れていたからというのもあると思うけど、いまでもあのペンションにご飯を食べに行きたくなる。


教習所が大町で、白馬のペンションに宿泊し、スクールバスに乗り込んで毎朝40分かけて通っていた。途中、木崎湖をはじめとする透明度の高く美しい湖を通るのだが、あまりに水が透き通っていて、そこに映る空の青さと山の緑、ゆっくりと滑降してくるパラグライダーの赤や黄色に涙がでた。美しすぎるものを見ていると悲しくなる。そんな心境だった。
教習所には猿や熊が出没し、窓を開けたまま教習しているとバッタが飛び込んできた。教習所の横は大きな川で、仮免に二回落ちたときは川原で泣いた。卒検も一回落ちた。その時はあーあ、と思ったきり、何も感じなかった。免許をとってから、一度もマニュアル車には乗っていない。

旅に出るまで

毎日が変わらなくて退屈していた。うんざりだ、旅にでたい。変化し続ける毎日。移動し続ける自分。知らない人と会って知らない場所に行くこと。清らかな水のように流れ続けるのが旅ならば、一ヶ所にとどまることは水が腐り続けていくような日常そのものだ。



通勤途中にスターバックスがある。私はソイラテが好きなのだけど、持ち帰りで買う気にはならない。スターバックスでの時間に1杯320円ものお金を払うのであって、他所で飲むなら家で作って持ってきたほうがよっぽどいい。



毎日毎日同じ道を通って通勤しながら、生活のすべてに吐き気がした。変らない日々と変えられない自分にイラついた。なんで私はこうも、同じ状態が続くことに耐えられないのだろう。同じ状態が続くこと、ひとはそれを安定と呼び、そしてわたしはそれを嫌悪している。おかしな話だと思うけど、貧乏でもいいから面白いことがたくさんあるほうがいいのだ。



旅にでよう。お気軽に今の状況を変化させる方法。お金はかかるけど、今年中か、来年頭。決めるとすーっと楽になる。でも具体的には決まっていないからまたすぐに元の状態に戻る。繰り返し。



会社に行きたくないなあと思いながらいつものようにスターバックスの前を通った。そして、ソイラテを買った。しかもトール。いつもはショート。いつもと違うことをした。絶対に持ち帰らないスターバックスを、いつもと違うサイズで買った。その瞬間、カチっと何かのスイッチがはいった気がした。何かが変化していく合図の音みたいに。

今この瞬間にも何かが変化していくことを、もっと機敏に感じ取れたら、430円も払ってソイラテ買わなくても、変化がなくてイライラしたりしないのに。でもわたしのスイッチはスタバのソイラテで、いつもとほんの少し違うことをすればいいのかということにも気がつけた。ありがとうスターバックス。でも自分で作るソイラテのほうが、コーヒー濃い目、甘さ多目で美味しいことに気がついた日でもありました。おわり。

バックグラウンドの見えないコミュニケーション

デジタルネイティヴには当然のコミュニケーションのかたち

私がWEB上に自分の考えや日常の何気ない記録、小説ともポエムともつかない作品をアップロードし始めてから8年になる。中学2年生からメールマガジンや、携帯ホームページを通して二次創作を始め、ブログを書いた。作品を好いてくれたひとと会う事や、素性の知れない者たちで集まって交流するオフ会にも、中3の時に参加しはじめた。その人が何をやっているどんなひとか、という背景をまったく知らない状態でのコミュニケーションは、今でも私にとっては当たり前の日常だ。



その後、18になり、BARで働き始めた時に、同じ考えを持つ人々に出会って少なからず驚いた。飲み屋に来る人の中には、自分の素性を明かしたがらない人も少なくない。仕事や、家族構成、出身はどこか・・・そんな野暮なことは聞くんじゃない、とでも言いたげなひとは結構多い。恐らく、自分をそういった雑多な項目で判断されるのが嫌なのだ。つまり、それだけ毎日、他人からそういう扱いを受けているということだ。

現代人はバックグラウンドの見えるコミュニケーションに疲れ果てている

まず第一に体型や顔といった見た目、そして職業、出身大学、高校、出身県、親の職業、持ち家か借家か、結婚しているのか、子供はいるのか、趣味や特技・・・人に生まれて社会生活を営む以上つきまとう個人情報は、その人がどのような人物か判断する重要な情報である。
果たしてこれからもそれが通用するのかは疑問だ。匿名で交流を深めることのできるコミュニティはいくらでもあり、これからも増え続けていくだろう。いずれネット上で本名や職業や住所が意味を持たなくなる日が来るのではないか、とすら思う。
2chで40代の男性が女子高生を名乗ってスレッドを立てることも、twitterでアイドルのアイコンを使ったりbioに何も書かないこと、職場のひとにネット上のアカウントを知られたくない事も、ひとしく同じ意味がある。
『もうこれ以上、自分をバックグラウンドで判断しないでほしい。』
ネット上でなら女子高生にもアイドルにも、詩人にも天才にも大統領にもなんにだってなることができる。例え現実で死んだとしても、ネット上でなら生き続ける事もできる。交流のあったユーザー達に生きていると思わせ続ければいいだけの話だ。

ネットの向こうには人がいるということ

たまに「ネットでばっか友達つくって空しくないの?」と聞かれることがある。
何が空しいと思わせたのだろうか?私は友達をつくるきっかけとしてネットを使っているだけで、友人達は現実世界に暮らす人間だ。別にbotを友達だと言っているわけじゃない。
悲しい事に、「SNSはすべて出会い系で、mixiは犯罪の温床で、twitterは独り言を言っている寂しいひとたちの集まり」、だと思っているひとのほうが世間には遥かに多い。趣味はネットです、というと友達いないんだと思われる事がほとんどである。
そういう人々に知ってもらいたいことは、ネットを使っているのは生きている人間で、悪い奴もいい奴も等しく存在しているということだ。

効率の良いコミュニケーション手段としてのインターネット

普段、ひとが1日に、交流出来る人数は限られている。例えばホステスのような1日に何人も、知らない人と会話をするのが職業の人でも、20人話せればいいほうだと聞く。ではパーティはどうだろうか?お酒が入り、もし1人のひとと意気投合して話し込んでしまったら、人数はもっと少なくなる。
ブログに1日100人訪れたら、自分の考えを100人に伝える事が出来る。twitterにfollowerが1000人いたら、自分の考えをリアルタイムで1000人に伝える事が出来る。このように考えると、現実世界のコミュニケーションの非効率的な部分はどうにかしてほしいなーと思ってしまう。
便利で、リアルタイムで、先入観を与える事なく、より沢山の人に、口で話すよりは精査された自分の考えを伝えられるのはインターネットだけ!



だからみんなもっとインターネットしましょう。

テリトリー

四角の線、丸い線、灰色の線。生まれた時から持っているペンで、自分のまわりに線を書いた。入ってこないでの証。入ってこられたら恋に落ちてしまうから、ひとは自分のまわりに線を書くんだよと教わった。私は線を書くのが得意で、濃く薄く、時に強く、色々な線を書いた。ひとに線を書く方法を教えてあげることもあった。二重に、三重に、波のように。時間も忘れる位に書いた。


線の外に欲しいものがあったらどうすればいいの?だって私は線の外にでられない。からだのまわりにまとわりつく境界線。ひきちぎることも消す事もできない真っ黒な一筋の闇。闇の向こうにはいつも目も開けられないくらいの眩しさがあって、私は下を向いて線を書いている。太く、強く、濃く描いた線はいつしかひとつの四角になって、初めてわたしはタイルを描けることに気がついた。外へ出る為の、足がかりを。
線はいつも自分のまわりで蠢く。タイルを描いて街へでる。